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ゴダールみてきました。大学生ぶり。消化に時間がかかるのと、フランス語を聞いていると眠くなるので、なかなか数多くの作品を観ることができていません、これで4作目。 3Dはかなり興味薄で映画館では未体験でしたがようやく観る気になりました。これはきっと3Dじゃなければ伝わらない映画。ダメなんだきっと。そんな期待、銀座cine switch、チケットを買う前、長蛇の列、すかした係員「満席立ち見です」、次の日のチケットを買っている人まで、しかしそれは別の映画、すかした係員「ゴダールは全然です」よかった。 「ゴダールは全然」 感想、3Dの鬼畜な使い方、マザーファックな映像。やべー、まじかっこいい。内容はしばらく外で犬と目が合うとびびるほど。男と女、こちら側と映像の向こう側の自然や暗喩をつなぐのですが、犬の見ている世界を知ることはできない、けれど知られているような。などと、言語化してしまう。感覚的に映画を観れる人、女の人に多いのかな、つくづく羨ましいと思います。そういうのから逃れられないタイプのダサい人、実はけっこういたと思いたいです。「同じよ」って、どうでもいい感じで女の人がばっさりぶった切るシーン。逆に話をさせてとも言う。きちんと裏返しがある。 ジャンプアップ 今回も多分に、なんだろう、よく分からないうちに、いきなり全く別の展開。ブレイクして全く違うテンポの前と違う雰囲気の曲が始まって、それはありきたりにかっこいいのだろうけど、可能性ではないんだろうな。カメラを構えて、撮るということに何か求めるゴダールの姿勢。ピンボケもしない、バランスが狂ったりもしない、普遍的でありふれた、呼吸するように自然に馴染んでしまったものの不完全さに気づけないのはたしかに表現者として罪だと思う。 3Dは自然な流れなんだなぁ、という認識が持てました。イタリア、ルネサンスの遠近法を逆からのアプローチ。80才になっても新しいものを取り込んで、しかも、槍が飛び出したりネズミが飛び出したりなんて安易な使われ方じゃないんだなぁ。自然にカメラを向けボケようが撮る行為、ピンボケしないほうがおかしいとでも言わんばかり。3Dもそんな使われ方。言葉、テレビ文化など語られるシーン、分厚い本を読書していたおじさんが気がつくとスマートフォン裏返しにして、こちらに画面を向け朗読しているシーンが印象的的でした。 想像力を欠くものはリアリティーに逃げ込むという言葉、特に最近だとカメラを手にするとそう思います、見えている世界のなんと疑わしいことかとおもう。それを疑いもせずにデジタル信号の中に人がいる。レンズの認識すら疑わずに。 同じ内容の物語が二度進行していくのですが、それが別の世界を見せる、たしかに別のキャストですが、いやぁ、どっちかよく分からなくなってしまいました。実際に分かりにくくしているのもあると思いますが、外国の方の顔の区別は難しいです。 絵が重なり文字も怪しい多重露光中、いよいよ自分の目もダメになったかと、3Dメガネを外してみると、猛烈にぼやけたカオス映像がスクリーンに広がっていて、ぶったまげました、メガネがないと何を見ていたのかもっと分からない。そんな前に人が座って、奇妙さと、可能性の同居。 最後の方で、森の描写美しかったなぁ。ベートベン、不滅のアレグット。自然っていうテーマがさんざん語られてきた現代社会のあり方から解放されたような心地になり、とても気持ちよかったです。 さらば、愛の言葉よ メモ キャノンではなくライカのレンズ、癖、フレア、美しいボケ、意図しない不完全さ デジタル的に完璧な人間と恋に落ちることができるでしょうか、間違いを起こすのが人間、不完全さの必要性 デジタル→リアリティーの再構成→芸術はその反対、試験的表象→デジタルにおける創造的欠陥→映画という失われた大陸 右目左目で違う映像、視力の差 いやー、もう一回見たいです。
by sukebass117
| 2015-02-08 08:57
| 雑記帳
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